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やさしい人に還る服

日本の服づくりの、いまとこれから〜02

tennen / テンネン は「自然分解100%、リサイクル、オーガニック、日本製」をコンセプトに、天然繊維の循環する服づくりを通じて「ユーザー、生産者、自然、そして私たち自身、みんながハッピーに!」を目指すブランドです。
私たちの天然繊維の服は、糸づくり→編み立て→染色→縫製の工程を経て、1枚の服として完成します。
今回は、服づくりの最後の重要な工程である“縫製”でご協力いただいている、愛知県は『名古路コーポレーション』の2代目、名古路社長に、服にまつわる過去、現在、そして未来について話をおうかがいしました。

メイド・イン・ジャパンを取り巻く環境は、いま?

tennen / テンネン(以下、t)
名古路コーポレーションの沿革を教えてください。

名古路コーポレーション 名古路社長(以下、n)
遡ると、うちのおじいさんからです。戦前にメリヤス屋を始めて。『メリヤス=肌着』ですね。で、親父が引き継いだんだけど、昭和49年にオイルショックがあって、その2年後ぐらいに一度解散してるんですが、再び会社として立ち上げ直していまに至ります。

t
じゃあ、もうかなりの年数ですね。すごいな、ずっと続いているの。

n
紆余曲折はたくさんあるんだけどね(笑)。
初めは名古屋の西区でやってたんだけれども。こっちに来てもう40年くらい経ったかな? 僕が高校生のときだったから。そのころはパートさんの賃金も安かったんですよ。田舎なもんだから、よく集まったし。

t
縫製の技術って、毎日続けると、ある程度の期間で身に付くものなんですか? もちろん個人差はあると思うんですけど。

n
「縫うのが好き」っていう人と、根気のある人は早いね。

t
カットソーの縫製工場っていうと、日本全国のなかでも実習生を使っていないところってほとんどないですよね?
日本人のかたって、いるんですか??

n
はい。縫製の主任をやってもらっている者なんですが、高校の家政科を出て、すぐうちに入ったんです。彼女なんかは面接のときに、「私、あんまり人と話したりするのが苦手だから、とにかく黙々とミシンを踏みたい」っていう感じでしたね。
プラス、パートさんが2人いて、それと事務員の女性と、外回り&生産管理を含めた男性が1人。日本人は全部で5人で、あとは中国からの実習生が6人います。

t
日本人のかたで縫製をされてるって、かなり貴重な存在ですよね? しかも、若いかたで。

n
そうですね。心強いですね。

t
過去に先代のお父さまと奥のミシン場のところで一度お会いしてて。裾引きをやってるところで。
裾引き(縫い目が見えないステッチの仕方)って基本的にある程度熟練を要する特殊でむずかしい仕事だから、ぽっとやってできるようなことじゃないですよね?

n
ですね。縫うのが浅いとパンクしちゃうし、深いと縫い目が出ちゃうし。いい塩梅のところがなかなかむずかしいし、経験による勘に頼るところも大きいですね。

t
職人技なんですね。まだまだ残っている技術がすごくありますよね。

n
結構アバウトな世界ですからね、カットソーは。

t
『莫大小』って言うくらいですからね。

n
そう、本当に『莫大小』(伸縮性があり「大小がない」という意味で、昔ニットのことをこう呼んでいた)。いい意味で、いい加減なところが必要だしね。
襟を付けるとき、布帛(伸縮性のない織物生地)だったら印を打っちゃうんですよ。
でもカットソーの襟付けの場合は、だいたい目分量。襟の長さに対してボディの首回りのほうが小さいんですよ。だから、それを伸ばしながら付けていくんだけど、まったくの勘でやっていくんです。で、うまくやらないと襟ぐりにシワが入っちゃったり、突っ張っちゃったりする。

t
“勘”を取得するまでに、やっぱり1年以上かかるんですか?

n
襟付けは上着のいちばん大事なとこだから、熟練さんにやってもらいますね。
習いたての人が縫うときは、脇縫いとか目立たないところ。あとは、直線縫いから始めてもらうようにしています。

t
ちなみに、いま社長たちが組織されているとおっしゃっていた中国人実習生の受入組合って、どういったものなんですか?

n
実習生の受入組合には2種類あって、全国的なものと、われわれのように愛知県だけの許可をもらっているところとがあります。われわれの受入組合は、プリント屋さんや縫製屋さんが11社まとまっています。
全国的な傾向を見ると、受入元はASEANのほうにシフトしてるんだけど、うちの組合は中国の方々です。国と国とでは結構仲が悪いようなことを言われているけど、実際僕も向こうに行って向こうの会社の人や実習生たちに会うと、全然そんなイメージなくて。
向こうに行って面接してくるんです。うちは江蘇省ですね。南京も江蘇省なんですけど、上海から南京まで新幹線で2時間ぐらいかな。そのあいだにいろんな街や村があるんだけど、そこで選抜してきます。

t
だいたい、おいくつぐらいのかたを?

n
30~40代。いちばん若いコで20代がいたかな~。
向こうの工場だと規模が大きいので、みんなラインのなかの1人なんです。いまはかなり縮小された規模なんですけど、それでも100人以上が主流です。日本に来てわれわれの会社に入ると少人数でやってるもんだから、知らなかったいろんなこと、例えば種類の違ういくつものミシンなどを全部こなすことができるもんですから、われわれにとっては縫子さんなんだけど、向こうの人にとってもすごく価値があって、いろんな技術を覚えられるんですよ。で、3年いると、仕様書を見ただけでサンプルがつくれるっていうレベルまで行きます。そうすると、向こうに帰ってからの次の仕事がすごく有利になるんです。

t
結構よく聞くのが、日本での実習を終えたあと、向こうで縫製工場を立ち上げたり、縫製工場のいいポジションに就職したりっていうケースが結構多いって。

n
縫製は特にありますね。中国の沿岸部の都市だと、やっぱり輸出物をメインにやってるもんだから、それだけ腕のいい人が多いんですよ。日系企業などに入れば、技術はもう身に付いてるもんだから、いいポストをもらえる。サンプル班とかに配属されるとサラリーもよくなるし、なおかつ日本にいる3年間で任意の日本語検定試験を通ると、それだけでも有利な材料になる。

t
卒業生が活躍してくれていてうれしい反面、経験値を上げた縫子さんを定着できないのは、ちょっと惜しいですよね。

n
本当に。慣れてきた頃に帰っちゃうのがいちばん辛いんだけど、それは制度だからしょうがない。
逆に3年以上預かると、こちらもちょっと不安になってくるんです。向こうに子供とかご主人を残して来とるじゃないですか? だから、3年がちょうどいいのかなと。自分たちのお金で里帰りするのは自由だから、そういう意味で彼女たちにとっても良い制度だし、われわれにとっても良い制度。3年間いて、大抵の人は満足して帰ってもらえるもんだから。

t
海外の実習生はもちろんなんですが、日本のやる気がある人に対してもなんらかの優遇措置があるといいんですけどね。日本人で、縫製とか、洋服づくりに関わりたいっていう人がなかなかいなくなりましたよね。僕らなんかはやっぱりデザイナーズブランド育ちで、日本人デザイナーが日本で服をつくる時代だったので、やっぱり僕らは憧れてたんですよね。それが時代の移り変わりで、洋服が“値段”というひとつの要素だけで切り取られて、価値が下がってきちゃってるっていう気がするんです。そこをもう少し、価格以外の視点から見てもらえたらいいのにな、っていうのはありますね。そして、若い人たちがまた繊維産業に戻ってきてくれればいいなと思ってますけどね。

n
ここら辺は一応ね、産地は産地なんですよ。
さらに一宮っていうところまで行くと毛織物の産地もあるし、この辺にも縫製屋さんもまあまあ残ってるし、染色加工やプリント加工もあるもんだから。本当はアピールしたいところではあるんだけどね。

t
一宮とかも、昔は機織り機の「がちゃん、がちゃん」という音が街中に聞こえてたのが、どんどん小さくなっていって……というのは聞いていたし。経営が苦しいっていうことではなく、もう本当に跡継ぎがいないから閉鎖するしかないっていうのはよく耳にするんです。
日本生産って、工場自体が減ってるから、比較的ひとつの工場に集中するっていうのも勿論あると思うんですけど、そもそも日本で流通している洋服全体の5%に行くか行かないか、みたいなレベルじゃないですかね。だから、そこら辺を本気でもう一度見直していかないと。かなりキビしいなって思いますね。

n
会社として健全に成り立っていければね、それで魅力になると思うけど、それ自体がむずかしいもんだから、いま。 ただ、こちらも人を預かってるもんだから、簡単にやめるわけにはいかないよね。

t
実際、原価自体は昔と変わらないじゃないですか? でも、日本はどんどん洋服の値段が下がってきていて。で、生産現場も海外に流出していて、結局どんどん苦しい状況になっていってるっていう。ブランド側も理解していかなきゃいけないし、ユーザーのみなさんにも理解していただけるようなメッセージを考えていかないといけないですよね。

n
本当におっしゃる通りです。
例えば7年前、愛知県の最低賃金は750円だったんですが、現在約900円です。じゃあ工賃をその分上げてくれるかっていうと、逆に「いや~(高いね)」っていうところも多いもんだから、われわれもこうやって残ってる以上は、やっぱりブランドも当然ながら選びます。交渉の余地はないところは切らざるを得ない。
tennen / テンネン さんとかは、ちゃんとそういうことも理解してくれてるもんだから、こうやってお付き合いできるけど。メーカーさん、ブランドさんも、国内縫製にこだわってるところは、そういうことに理解があるところが残ってくと思うけどね。

t
本当にそうですよね。切実ですよね。
それを理解してなかったりとか、目をつぶろうとしてるブランドさんっていうのは、やっぱりいずれは受けてくれるところはなくなっちゃいますよね?

n
本当にね、お互いむずかしいと思うんですよ。ブランドさんのほうもいまの時代、そんなに値上げできるものじゃないし。 そういう意味では、YSさんと取り組んでるものには付加価値があるじゃないですか? それはやっぱり大事じゃないかなと思う。

t
われわれの考えとしても、「日本製」っていうのもひとつの付加価値であって、それをうまく発信、表現していかないとユーザーのみなさんに伝わっていかないかなと思っています。
本当に思うのが、「安いから、云々」っていう、コストという部分での判断の割合っていうのが、ここ10年ぐらい? 5年ぐらいですかね?? ものすごく増えていて。
いま、供給量は増えてるらしいんですよ、洋服自体の。でも消費量は下がってるんですよね。で、下がってる上に、価格の安いブランドさんもたくさんあって。

n
いま廃棄処分の服もすごく多いよね。

t
めちゃめちゃ多いですね。
だからわれわれとしても、廃棄処分に関しては早くリサイクル糸も開発していきたいと思っているんです。

日本生産の良さはどこにある?

t
ちなみにいまの日本って、さっきもお話ししたように、縫製工場も含めて繊維産業自体が日本でつくる場っていうのが減ってきてるじゃないですか? その反動として「やっぱり日本製がいい」とか、なんかこう日本製の良さが見直されてきてると思うんですけど、そこはどう感じていらっしゃいますか?

n
それは絶対あると思います!
まず生地の段階で、絶対にあります。そしてやっぱり「安心・安全」です、日本の生地自体が。
染めの工程、プリントの工程など、日本ではきびしい基準のなかに収まっている限られた薬品しか使えないんです。中国の富裕層が特に赤ちゃんの衣料を日本に買いに来るっていうのは、やっぱそこにあって、安心・安全が認められているんですね。

t
そういう薬品とかって、廃液とかで出るっていうのもあると思うんですけど、実際に服にも残ってたりするんですか?

n
色褪せ加工をするときなど、やっぱり薬品を使うんですよね。日本だと染色工場でやるんだけど、排水の基準もすごくキビしいし、使う染料や薬品もキビしいもんだから、そのなかで工夫しながらやるんだけど。海外だったらもっと違う薬品を使って簡単に加工できるっていうのがあるかもしれないけど、日本で認められてないってものは、人体や自然環境に何らかの影響がある可能性があるわけだから、日本の生地などはもう絶対安全・安心だと思いますね

t
15年ぐらい前ですかね。別のブランドをやっていたときにヘンプ生地を使っていた時期があって、それは海外で縫ってもらっていました。で、現地の染工所さんに行ったときに、その近くに川があったんですよね。いまはだいぶ変わってきてると思うんですが、そこに流れていた水が全部真緑でしたね(汗)。それには結構な衝撃を受けて、そんな話を日本の染工所さんにこないだ話しをしたら、やっぱり日本っていうのはかなりレベルの高い規制がかかっているっていうんです。特に染工所っていうのは。だからそういう意味で、環境に対してもそうだし、人体に対してもそうなんだけど、確かにおっしゃるように安心・安全っていうのは確保されやすい。

n
昭和45年ぐらいに公害問題にもなりました。あの頃、名古屋にも染工所がいっぱいあって、名古屋の北側に庄内川っていうのと新川っていうのが流れてて。やっぱり川が集まるところに染工所が集まるんですよ。で、僕がちっちゃい頃は本当に川も汚くって、特に染工所があるところは。日本も以前はそういう歴史があったもんだからすごく規制がかかって、いまではだいぶ良くなったね。その代わり、染工所自体は減っちゃったよね。

t
それも技術ですもんね、安心・安全に染めるっていうのも。
あとはやっぱり、顔と顔とを突き合わせながら、本当に電話すればすぐ対応してくださったり、サンプルもすぐ見れたりとか、コミュニケーションが取りやすいっていうのも良い製品づくりにつながるのかな、っていう気がしますね。

n
サンプルはね、なるべく早く上げたいっていう思いはいつもあります。サンプルが上がれば、ブランドさんもまたそれで動きやすくなるもんだからね。

t
サンプルをつくるのって、結構大変ですよね。通常のラインとは別のラインで縫わなくちゃいけなかったりするから。

n
そうですね。
だいたい僕がサンプルを裁断するんだけど、そのときに型紙もチェックできるし、一着あたり生地が何センチかかるかっていう用尺も知れるからいい。で、2階に上げて、実習生の女の子たちに指示するわけです。そこが僕の仕事のひとつなんだけど、そうすることでだいたい頭のなかに入るじゃないですか、どういう製品か?っていうのも。

t
洋服って、実は一枚できあがってくのに、本当に手がかかってるんですよね。例えば糸の段階から見たら、本当にものすごい数の人たちが関わってて。もう世界中で変わらないわけですよね、手間とかって。だから、その価値っていうのをわれわれブランドとしては伝えていきたい。

n
うちの会社はそういう風にサンプルからちゃんと自分の会社でやるんだけど、世の中にはサンプルはサンプル屋さんに出しちゃうとか、縫子さんに任せちゃうとかっていう会社さんもあります。
ただ僕の場合は、必ず僕が目を通したいっていうのがあるもんだから。

t
そういう意味では、日本生産って管理しやすいっていうのが、やっぱりあったりします。

n
各社の社長がね、実際に現場にいる人がほとんどだから(笑)。

t
社長自らに動いていただいて感謝です!

n
でも、そうしないと無理なんですよ、やっぱり。サンプルっていちばん大事ですから。

t
われわれとしても、サンプルからすべてが始まるので。

n
ワンロット、ワンアイテムで100枚とか、少量のものをその日その日で縫っていって。
で、また次の日は、また違うものを縫ったりするものだから、そのたびにミシンの調子っていうのを変えるんですよ。厚いものと薄いものでは全然違う。
縫い調子、それも経験からの勘なんだけど。

t
それもすごいスキルですよね。経験でしかないんだもんね。

n
で、量産に入るときは必ず、まず一枚、先上げをつくって僕が検品するんですよ。サンプル同様、そこがいちばん大事なところだと思うから。それをやっていかないと、どんどん違ったものができちゃうし、それだとマズいもんだから。 やっぱりいちばん見るところは襟周りとか、仕様とか。あと丸首なんかだと、実際頭が入るか、入らないかってところも(笑)。

t
襟ぐりが広過ぎちゃうと、逆にだらしなく見えちゃったりするんですよね。いろいろ絶妙なんですよね。その調整を今度はパタンナーと一緒にやって。で、縫製時でも、やっぱり縫う人の経験だったり技術だったりによって、程よく伸びたり伸びなかったり。あとはステッチが曲がったりとか、いろんなことがあるから。
服を一枚つくるのにチーム一丸となってね。流行りの言葉で言えばワンチームじゃないですけど、そうやってでき上がるんですよね、洋服って。だから、前々から言ってるようにウィン・ウィンの関係で、みんなで上がっていかないと意味がないんです。

n
うちもプリント屋さんとか、洗い加工とかは外注するわけじゃないですか。裁断も量産の場合は外に出すもんだから。で、ほとんど言い値でやるんですよ、外注さんのね。

t
で、世の中そんなに悪い人ばかりじゃないから(笑)、そこで利益を思いっきり乗っけて出してやろうっていう人はまあいないですよね、基本的に(笑)。日本ではね。

n
逆に僕らもあんまりつけれないですよ、言い値でいいよって言われると。

t
そういう意味での安心感も日本はあるかもしれないですね。信用で成り立ってるっていう部分が大きくて、そこがものづくりにもすごく大事なところだったりしますよね。

n
本当にそうですね。日本でやるいちばんのメリットって言うか、いいところって、人と人との信用で成り立ってるところだね。

t
契約結んでから……とかってあんまりないですもんね。「古き良き」だよね、そういうマインドは。
で、そういう仲だからこそ、比較的自由に話しができるし、いいものをつくりやすい提案を受けたり、要望したり。より自由さが生まれるのかな?

洋服に「ドキドキ」「ワクワク」をもう一度!

t
さて、ヘンプ生地の話題になりますが。
すいません、何回も何回も縫っていただいて……。ありがとうございます!
実は縫っていただいたヤツを僕は今回初めて見るんですけど。これが最新バージョン?
ムズカしかったのは、どんなところですか?

n
アームホールところにステッチが入るっていうのはムズカしいですね。

t
結構ね、面倒くさいことをお願いしてるね(汗)。
あとは例えば、綿糸。
綿糸って、通常のスパン糸(合繊の糸)と比べると弱いからキレやすかったりするし、あまり使わない糸だから色も少なくて、生地との色が合わせにくい。最初は色のバリエーションがなくて、ステッチが逆に目立ち過ぎちゃったりもして。綿糸の需要がやっぱ少ないから、その分、後処理も少なかったりとか。で、縫製の量産時にも切れやすかったですよね。
一着の服をつくるのに、もっと楽につくれるものもあるなかで、それに応えてくださっているのが名古路さんでございます!

n
(笑)。
でも、それが付加価値っていうものにつながっていくと思いますもんね。

t
当然工賃もあがる=価格も上がるっていうのは、よく考えると当たり前のことで、「こういうことだから、値段がちょっと高いんですよ」ってちゃんと伝えたいですね。

n
あと、ヘンプってのは生地を編むのもムズカしい。短い繊維なんですよ。で、やっぱりキズとかも出やすいもん。

t
そのような繊維でなぜ100%ができるようになったかって言ったら、いまヘンプの需要が上がってて、ヘンプの栽培が盛んな中国で細い糸の開発っていうのが進んでいるからなんです。

n
品質もとてもいいですよね。

t
はい。夏にはサラっとしてドライ感もあるし。上品ですよね。見ただけでもなんか綺麗だし、いい感じがわかります。やっぱりこう、ひとつひとつが綺麗にあがってて。
Tシャツ一枚といえども、縫製っていう立場から言ったら、やっぱり色々と大変な部分があるんですよね。
あとは、どっかムズカしいところってありましたか? さっきのポケットや、コットンの縫い糸の他に??

n
そうですね。やっぱりあの生地ですね。冬って乾燥してる時期でしょ? 生地がパリパリ系なもんだから、針のひと目ひと目で裂けちゃう可能性が高くて。これは、特に量産時に気をつけなきゃいけないところですね。こういう時期にこういう生地を扱うときは、なるべく針も絶えず替えて、鋭いものに。やっぱりどうしても先っぽが劣化するとキズが出やすいもんだから。

t
すごい繊細な世界なんですね!

n
夏なんて、いくら冷房をかけて除湿しても、絶対まだ湿度がありますよ。夏のほうがそういうトラブルが少ないですね、この生地に関して言うと。

t
そういうきめ細やかさって、多分海外の生産現場にはないものですよね。 一昔前なんて、HEMP100%でこんな天竺(カットソー生地)なんかできなかったもんね。

n
僕たちもそう。多分、小栗さんたちもそうだと思うんだけど、やっぱり服をつくることが好きなんだよね、元々。

t
そうですね。それ、すごいそうですね。

n
時間も苦にならず考えちゃったりとか。ものをつくるっていうこともやっぱり楽しい。苦しいことも多いけど。

t
苦しいことがほとんどですね(笑)。

n
まあ、達成感とかもあるし。出荷するときはねえ。

t
そういう気持ち、めちゃめちゃ大事ですよね。

n
やっぱり服が好きだし、つくるのが好き。

t
でも極論言っちゃうと、このまま工場がなくなっちゃうと、日本で服がつくれなくなっちゃう可能性もあるってことですよね? その危機感は僕自身もすごく持っています。
別に海外の悪口を言うわけではないんだけど、海外の縫製工場って採算とか合理性っていうのをすごく追求してて、マネーゲームじゃないけど金融的な考え方で工場っていうのを成り立たせているから、「ものづくりが好きで」「洋服が好きで」っていうのとは別の部分で動いているっていうのがすごくあると思うんです。でもこの日本にはまだまだそういう「好き」っていうピュアさが残っていますよね。「好きこそ、ものの上手なれ」じゃないですけど。

n
本当にその通りだと思います。
海外なんて、工場が撤退するときは早いもんね。儲からないって思ったら、すぐたたんじゃう。

t
そこにあまり愛がないんだね。ドライだよね。
洋服の楽しさみたいのが失われてきてますよね。もちろん「環境に負荷をかけない、云々」なんていうのも大事だけど、洋服そのものの楽しさだったり、おもしろさ、価値っていうのが、またここから見直ししていかないと。

n
本当にその通りだと思います。 好きな洋服を着ているときの幸福感。いまの若い人たちなんかはそういうことも忘れちゃってるところが多いんですよね、多分。

ワクワク感とかね。
例えば、洋服を5着買うなかで、その2着だけでも自分のなかのワクワクを手に入れられるような何かを、こっちも発信していかないといけないんですよね。

n
本当にそうだと思います。 やっぱりワクワクっていうのはさ、何にも代えがたいものなんですよ。

t
社長の名刺がレッド・ツェッペリンですよね?

n
これ、全然関係ないんだけど(笑)。
僕は音楽が好きで、もうすぐ還暦なんだけど、いまでもバンドやってるもんだから。学生時代からの続きで、僕はベースやってます。なかなか時間がとれないだけどね。

t
スマホの呼び出し音もレッド・ツェッペリン??

n
そうです(笑)。
この名刺で東京なんかに営業に行くじゃないですか。で、いまの若いコでもね、結構これに反応してくるコがいるんですよ。意外と「好きなんですよ」って。

t
僕も初めて名刺いただいたときに、「おっ」て思って。
音楽もそうですけど、やっぱ洋服って普遍的なもの。だから、せっかく普遍的なんだから、そこの精神的な楽しさだったりとかがあってもいいじゃん!っていう風に考えてくれないかな~。「どうせ買うならさ」みたいな。そんなドライでいないで、って(笑)。でも、それって若いコだけの責任じゃないからね。大人のせいでもあるから、本当に。
最後に、今後どうですかね? 日本のアパレル産業っていうのがこういう状況にあるなかで、社長としての考えでもいいですし、「こういうことは守っていきたよね」とか、そういうのって、あったりしますか?

n
また服がぜひ元気になってほしいと思ってるんですよね。で、いまの若いコたちにも服を着るワクワク感をぜひ味わって欲しいと思って。
そんな日が復活することを信じて。

t
海外に生産現場が流出するのは、やっぱり止まらないですかね?
よく話題にするのは、結局そうなると最終的にアフリカに行って、で、アフリカでまたどんどん工賃が上がったら、「じゃあ今度はどこ行くの?」ってことになっちゃう。そうしたときに、どうなるのかな?っていう。
そのうち自動で新しい洋服をつくる技術とかが出てくる、じゃないけど、そうしたときにやっぱり日本製って、ちゃんと残り続けていられるようにしていきたいですよね。こういう風に洋服のことを日本国内で語れるんですから。さっきも言ったように、つくり手同士の話し合いのなかで、ワクワク感だったり、ドキドキ感だったりっていうのを感じることができる、やっぱり夢がある仕事かなって思ってはいるんですけど。

n
夢ありますよね。夢があるからこそ、世の中が変わればいいなと思って。
われわれにできることって言ったら、とにかく一生懸命つくって、日本でつくっているってことにこだわりと誇りを持ってやり続けることですね。

t
そういう輪が広がってくるのがいちばんいいですよね。いままでは「真似すんなよ」って押しのけていたのを、「いいね、じゃあ一緒にやろうよ」っていう大きなムーブメントみたいなのがね、起きるといちばんいいですよね。本当に。